O2
2026.07.06

O2

1988年、今から38年前、一人のデンマーク人の青年がイタリアから旅立った。ニルス・ピーター・フリントという名の若いデザイナーで、イタリアの有名なプロダクトデザイナーの下で仕事をしていたが、彼の頭の中には「こんなところでこんな仕事をしている場合ではない」という焦りにも似た気づきがあった。彼はヨーロッパを横切ってデンマークに帰る途中で次々と自分と同じ考えの仲間を募り、スイス、レマン湖畔の水辺にテーブルと、7か国から一人ずつ、7人分の椅子を並べて初めての国際会議を行った。地球レベルでの自然環境を汚さないデザインをしようという決意とともに、自分たちのグループをO2(オートゥ―)と名付けた。

その翌年1989年、私はまだ駆け出しのデザイナーではあったが、名古屋で開かれた世界デザイン会議の実行委員として、世界中から集まったデザイナーや研究者たちの発表内容と討議のとりまとめを行っていた。最終日、私はその結果発表に当たって、ある重大な発言をすることになった。3日間にわたって開かれた何十という分科会のほぼ全てに環境に関する疑問の提示や提案が行われていたのである。私は最終発表を「今年がエコデザインの元年だと思われます」という言葉で締めくくった。

その後、参加者の宿舎となっていたホテルの廊下を歩いていると、長い金髪を無造作に結んで、もう10月だというのに穴の開いた白いティーシャツ一枚をまとった痩せた白人青年がこちらに向かって歩いてきた。おそらくは会議の参加者なのだがどうしたのだろうかと思い、思わず「コーヒーでも飲みませんか」と声をかけた。ところが相手は「コーヒーよりビールの方がいい」という。「オッケー、じゃあビールだ」と誘って乾杯したのが、O2のニルス・ピーター・フリントだった。 私は、彼を東京の私の事務所に招き、友人、知人に彼の話を聞かせて寄付を募り、有り金はたいて日本までたどり着いたニルス・ピーターに、せめてもの箱根温泉旅行をプレゼントした。その後彼は何度も日本を訪れ、いくつかの仕事にも関わった後、コペンハーゲンでエコデザイン商品を展示販売するビジネスに着手した。

当時、世界のデザイン界はイタリアの巨匠たちを頂点に、いかに個性的で美しく、革新的な造形をまとった工業製品を作れるかを競っていた時代である。スーパーカー(最高級のスポーツカー)から家具、歯ブラシに至るまで、デザイン雑誌の表紙を飾るにふさわしい、いわゆる作品が企業にも、マーケットにも、メディアにももてはやされていたのだから、エコデザイン(Environmentally conscious design:環境に配慮されたデザイン)など見向きもされない雰囲気があった。

そんな中で、水面下では密かにある種の変化が起きようとしていた。

https://www.o2.org